即宗院(そくしゅういん)です。
東福寺の塔頭で、方丈の裏手(東側)にあります。 創建時から薩摩藩と関わりが深く、幕末には西郷隆盛と月照上人が密会を行った茶室があったお寺です。寺の裏山を登ったところには明治維新で没した薩摩藩士を供養する西郷隆盛直筆による慰霊碑が残されています。
本堂には入れませんが、庭を回遊できます。臨済宗の禅寺なのですが、いわゆる枯山水ではなく「禅」の様式とは異なった少々珍しい雰囲気のお寺です。
即宗院(そくしゅういん)です。
東福寺の塔頭で、方丈の裏手(東側)にあります。 創建時から薩摩藩と関わりが深く、幕末には西郷隆盛と月照上人が密会を行った茶室があったお寺です。寺の裏山を登ったところには明治維新で没した薩摩藩士を供養する西郷隆盛直筆による慰霊碑が残されています。
本堂には入れませんが、庭を回遊できます。臨済宗の禅寺なのですが、いわゆる枯山水ではなく「禅」の様式とは異なった少々珍しい雰囲気のお寺です。
光明院(こうみょういん)です。東福寺の南門を出て少し南に進んだところにあります。
このお寺には、重森三玲氏による「波心の庭」と名付けられた枯山水庭園があります。同じく三玲氏が手掛けた東福寺の方丈庭園と同時期に作られたもので、三玲氏の初期の作品にあたります。
庭の敷地は決して広いわけではないのですが、広々と感じさせます。庭に置かれた沢山の石はもちろん動かないはずなのに、不思議と息遣いというか動きが感じられます。禅の庭というと大抵は難しく「いかつい」イメージですが、この庭はなんとなくカワイイ雰囲気なので、私もとても好きなお庭です。
さすが良く考えられていて、場所によって庭の表情が変わります。高いところから回遊して眺められるようになってますので、ぜひ色々な角度からご覧ください。
なお、似た名前のお寺に紅葉の名所である長岡京の光明寺(こうみょうじ)がありますが、こちらの光明院は臨済宗の東福寺の塔頭です。場所も異なるのでご注意ください。
東福寺の塔頭、天得院(てんとくいん)です。
紅葉の時期はとても混雑する東福寺ですが、このお寺では落ち着いた時間を過ごすことができます。 小さな敷地ですが、東福寺の喧騒から一歩離れてゆったりとするのもお薦めです。
華頭窓(かとうまど)という釣鐘状の形をした窓があり、額縁の様に見る紅葉がなんとも絵のような光景です。
天得院は花のお寺としても知られており、夏場は桔梗で有名。紅葉が赤くなる前にはツワブキという小さな菊の花が咲きます。
通常は一般公開されておらず、桔梗と紅葉のシーズンのみの公開です。
嵯峨野紅葉シリーズの最後は愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)です。愛宕山(あたごさん)と同じ字ですが、「おたぎ」と読みます。天台宗のお寺です。
読み方が気になったのでちょっと調べてみたのですが、愛宕(おたぎ)の名の由来は、平安時代よりもさらに昔、東山の鴨川近くを愛宕(おたぎ)郡と呼んでいたのが始まり。奈良時代にこの東山の愛宕の地に建てられたので、愛宕寺(おたぎでら)と呼ばれるようになったそうです。その後鴨川の氾濫で流されたりなどあったそうですが、復興を繰り返しながら、大正時代になって、愛宕山(あたごさん)の麓である嵯峨野に移されました。愛宕山(あたごさん)とは漢字は同じですが、由来の違いが読み方の違いとして表れているのですね。
このお寺の見所は、境内に並ぶ千二百羅漢。今は苔生して寂びた雰囲気がありますが実は比較的新しく、昭和56年から1200人の参拝者の手により彫られたものです。
色々な表情の羅漢さんがいらっしゃって、お顔を見るのも楽しいです。
本堂と紅葉
嵯峨野をより深く山奥に入るので気候が涼しいためか、紅葉は少し枯れつつありましたが、この枯れた感じが良く似合うお寺です。
鳥居本(とりいもと)へ。嵐山から化野念仏寺を越え、さらに清滝方面へ山道を進んだところにあります。
大きな丹色の鳥居が印象的で、これは火の用心の神である、愛宕山神社に続く一の鳥居だそうです。古くから参詣客の茶店が残っており、苔むした茅葺屋根がとても情緒ある風景が広がります。京都の街中では見られない風景ですね。
平野屋は夏場の鮎料理が有名ですが、元々茶店だけあって「しんこ」というお茶菓子を出してくれます。嵐山からここまで足を延ばすのは大変ですが、たどり着いたらぜひお茶菓子で一服を。そういえばTVでホンダ車のCMで「ちょうどいい!」と、平野屋さんの風景が使われていました。
秋は紅葉がキレイですが、初夏の新緑も美しく、時間に余裕がある方、長時間歩いても大丈夫な方はぜひ足をお運びください。
厭離庵(えんりあん)へ。
あの有名な小倉百人一首を藤原定家が編纂した場所です。元々は藤原定家の山荘であったものを、後年冷泉家が修復し、厭離庵という名の臨済宗天龍寺派のお寺になりました。
厭離庵入口
時雨亭という、茶室があります。大正時代に裏千家を手掛ける大工により建てられました。屋根裏は高台寺の傘亭を移したものだそうです。
宝筐院(ほうきょういん)へ。平安時代に白河天皇によって建てられ、現在は臨済宗のお寺。清凉寺の西隣にあります。
小さな敷地のお寺ですが庭一面の紅葉が見事です。
石畳を紅葉に覆われた中進みます。
このお寺、もともとは善入寺という名前でしたが、八代将軍足利義政の時代に、二代将軍足利義詮(よしあきら)の院号である宝筐院に名が改めたそうです。当時は隆盛だったものの、応仁の乱後衰退し、幕末には廃寺となりましたが、大正時代に復興されました。
お寺のホームページで紹介されていますが、紅葉の時期以外は様々な四季の花が楽しめるようです。
嵯峨野の清凉寺(せいりょうじ)へ。嵯峨釈迦堂とも呼ばれ本尊は釈迦如来が祀られています。通常は秘仏ですが申し込みすれば公開してもらえます。
広い敷地に大きな本堂が印象的なお寺です。紅葉スポットは境内には少なく、本堂から回廊で繋がったお庭が見どころです。
境内には一切経蔵というのがあり、この中に一切経が収められた大きな厨子を回せば一切経を読んだのと同じ功徳があるとされています。本当に大きく力がいる感じで回しごたえがあります。その分ご利益も大きいのかなと思えるぐらいで。通常は公開されておらず特別な時期に公開されるようです。
なお、境内に嵯峨野名物を謳った「あぶり餅屋」がありますが、あぶり餅はもともと今宮神社が発祥であり名物のお菓子です。私は小さな頃から氏神さんである今宮神社のあぶり餅を食べてきているので、こちらのあぶり餅は味と触感も少々違和感を感じるものでした。清凉寺のあぶり餅はオリジナルではないよという意味で、念のため記しておきます。
嵯峨野の直指庵へ。大覚寺からさらに北に山の麓に進んだところにあります。
直指庵の紅葉、とても綺麗に色付いていました。私が見た中では、この秋一番の美しさです。なんとも、沁みるような美しさ。大覚寺のようなダイナミックで雅な所もあれば、少し離れたこの庵の様に侘び寂びをした場所もあり、京都はいいなとしみじみと思いました。
さて、道場の一室に、昭和40年代の古い日記帳(誰でも一言掛けるいわゆるゲストブック)が沢山公開されていました。私の生まれる前の日記。多くの方がこの庵を訪れ、その時の気持ちをしたためたもので、時代は変わって街の様子は変わっても、このお寺の中は今とあまり変わらないのだろうなど、なんとなく昔に思いを馳せ、こういう過去と現在をつなげる日記は、いいものだなと思いました。(私もひとこと記しておきました。ずいぶん先の未来に読み返すこともあるかもしれません)
大覚寺と大沢池へ。今回訪れた嵯峨野シリーズの中ではメジャースポットです。ただ大覚寺へは少しアクセスが不便。バスで訪れるか、あるいは嵐山方面からハイキング的な感じで訪れるのがお薦めです。
このお寺スケールが大きく、大沢池の広々とした光景は京都では珍しく、開放感を味わえます。
旧嵯峨御所というだけあって、格の高い建物が印象的です。寝殿造りで左近の梅(桜ではない)右近の橘が配されて、いかにも御所というたたずまいです。京都御所の紫宸殿と比較するのも面白いです。
色付き掛けた南天の葉
丁度この時期、嵯峨菊が展示されています。紅葉の赤に黄色の菊が鮮やかに映えます。
紅葉の遅かったので嵯峨菊自体は少し枯れつつありましたが、綺麗な一番見頃の嵯峨菊は先日の日記をご覧ください。
お寺の境内を見学した後は、大沢池(おおさわのいけ)へ。一旦お寺の敷地を出て、池の方に向かいます。チケットは共通で使えるので、ぜひ足を延ばすのを忘れずに。
鴨が気持ちよさそうに泳いでいます。
お寺の建物に興味のある方には見ごたえがありお薦めのお寺。写経の道場でも有名で、誰でも般若心経の写経を体験することができます。春は桜のスポットです。どちらかと言えば紅葉よりも桜が有名かもしれませんが、秋は大沢の池周辺の山々が色づき美しい光景を楽しめます。